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by ランチェスター戦略実践肉屋(有)まきば 桑原一成
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どうしても越えられない最強の人物 それは次男である説【リアルバラエティー】


どうしても越えられない最強の人物

それは次男である説

【リアルバラエティー】


どうしても越えられない最強の人物 それは次男である説【リアルバラエティー】_f0121909_21301070.jpg
みなさんこんばんは。


本日、夜7:30から村の会合でした。


会合終了後、発泡酒2本いただいた結果かなり思考回路が愉快です。


村のみんなと話をしていると、ふと幼少期のことを思い出しました。


みなさんにとって、無敵な存在って誰でしょうか。


幼少期の私にとって、無敵な存在は次男でした。


さて、今日こんなツイートをしてみました。



ツイート

次男最強説

長男である私。

長男は小さい頃はいろんなものを親から買い与えられ、

次男は常におさがりを使わされる。

我が家でにはこの常識はありませんでした。

幼少期。

次男と二人で蜂の巣つつく。

一目散に逃げたが私は蜂に追われて身体中さされた。

「弟は!弟は!」

置いていった弟。

無傷でした。


この内容について深堀してゆきたいと思います。


⚫️長男が背負うもの、次男が担うもの。


今でこそ、長男は家を継ぐものという空気は薄れつつあります。


私の生まれた時代はまだ長男は家を継ぐものというのが当然の時代でした。


⬛️私の誕生実話(らしい)


私は4人兄弟の二番目に生まれました。


姉、私、弟、弟の4人兄弟という構造です。


当時では4人兄弟の家はしばしばありました。


そんなに珍しくはなかったです。


私の父は、男の子を望んでいたらしいです。


しかし初めて生まれたのは女の子。


ということで二番目は何が何でも男の子が欲しかったらしいです。


当時我が家は養豚農家。


養豚農家の人なら分かると思いますが、豚は去勢をします(詳しくはググってください)。


オスの豚は臭みがあり食肉用として出荷することができません。


にもかかわらず、父は男の子が生まれるようにと一頭の豚を去勢せずに育てたと聞いたことがあります。


その甲斐あって(?)私が誕生。


当時、跡取りが生まれたととてもみんな喜んでいたと聞きます。


⬛️待望の長男に待っていた

 ものは結構スパルタな説


今の時代、もし男の子が欲しい!と思っていたところに男の子が生まれたら当然家族みんなが喜びます。


おそらく、男の子の両親はもちろん両親のおじいちゃんおばあちゃんもみんな喜んで甘やかすのではないでしょうか。


私の場合ですが、物心ついた時には養豚農家だったからでしょうか、豚舎の手伝いをしてました。


小学1年生くらいの時には、豚舎の廊下を竹のほうき(レレレのおじさんが使ってるやつ)を使って掃き掃除し、豚の寝床を作るためのこぶきっこな(木の粉)をミノ(大きなチリトリみたいなもの)ですくい上げ、豚の部屋を掃除している父のところまでやっとの思いで持って行き渡す。


するとそれを父が軽々と豚の部屋にまき、空になったミノは私に手渡され、再度私はこぶきっこなをすくいにこぶきっこなの山まで往復する。


竹のほうきで廊下を掃くと、手の皮がズルむけします。


あまりの痛さに、一度家に帰って絆創膏(ばんそうこう)を貼り再度手伝いに戻る。


こぶきっこなをすくったミノは、小学一年生にとっては大変重く、手の指の爪がミノ重さによってくいこむのが痛かったのを覚えています。


でも辛いと思ったことは一度もなく、これって当たり前って思ってました。


当時私は7歳。


姉9歳。


次男5歳。


三男1歳。


ふと思いました。


豚舎にいるの、4人兄弟で自分だけ・・・。



⬛️まきば創業時代の兄弟事情


私が10歳の頃にまきばは創業しました。


養豚農家から田舎のお肉屋さんへ変わりました。


なんでもそうですが、事業ははじめた時が一番試練です。


飛行機が離陸する時の燃料消費量は、上空を安定飛行している時の3倍です。


物理の原則は万物に当てはまります。


起業した会社が1年後残ってる確率は半分(50%)、10年後は5%、30年だと0.02%と言われています。


みなさまのおかげで現在まきばは0.02%に入ることができました。


しかし当たり前ですが、安定軌道に乗るまでは人の3倍働かなければならず、結果小学校のゴールデンウィークや夏休みにどこかに連れて行ってもらった記憶は数少なく、普通の家が年末に大掃除よぉ!っと親と一緒に掃除すべき時期に誰も掃除する人はおらず。


超ドA型で他人との比較をしまくる性格の私はそれが嫌で一人我が家の大掃除をしてました。


築150年の天井が4mの家の天井のすすを落とすのは小学生には結構重労働でしたが今思うと段取り上手になるためのいい練習でした。


⬛️遊び相手は次男がほとんど


小学生になるといろんな発想で遊びをしました。


おもちゃとか買ってもらえなかったので、身の回りにあるものを使っていかに楽しく遊ぶかが重要。


村の神社に行き、木の枝をゴルフクラブ代わりにし、空き缶を潰してゴルフボールの代わりにしてごフルしたり。


木の棒を工作の時間で使っていた小刀で削り木刀を作ったり。


山を探索して、程よい広場を見つけて秘密基地遊びをしたり。


家の中でゲームするよりめちゃめちゃ楽しかったのを覚えています。


そんな時、常に2歳下の次男がいました。


どこに行くにもついてくる。


あまりについて来すぎるので一人立ちできるのだろうか?と小学生ながら不安を覚えたこともありました。


⬛️次男無敵説(前編)


ある時でした。


家の前で二人で遊んでいると、結構猛スピードで車が走ってきました。


なんとあわや次男が家の前でその車にひかれそうになった。


すると私の家の前のこわいおじいちゃんが飛び出してきた。


そのおじいちゃん、大声で怒鳴りました!


「ばかやろぉ〜!道で遊んでんじゃねえ!ひかれたらどおすんだぁ〜!!」


愛のある怒鳴りでした。


ただ一つ、違和感がありました。


怒鳴られてるの、私でした(T0T)ナゼ?


⬛️次男無敵説(中編)


こわいおじいちゃんが私を怒ったのは、


兄が弟のめんどうを見るのが当然だろう!


という意図は子供ながらに伝わりました。


でも、やはりしくじったのは弟でありその弟が全く怒られずに自分は殺されるんじゃねえの?っていうくらいのけんまくで怒られるのってちょっとどうなのよ?


という気持ちもありました。


そんなあるひ、我が家の周りで次男と遊んでました。


家の右横の壁に蜂の巣がありました。


棒でつついて落としてやろうか?


恐々と慎重に蜂の巣に近寄る私と次男。


すると、蜂の巣をつつく前に蜂が一斉に私に襲いかかってきた!


一目散に逃げる私に容赦なく蜂は針をぶっ刺して来ます。


(いたい!いたい!誰か助けて!!)


一目散に家の周りを一周してなんとか家の中へ逃げ込んだ私。


身体中刺されて痛すぎて家の中で倒れた。


それを見た母親が応急処置。


私は置いてきた次男が蜂にメッタメッタに刺されまくって死んでしまっていると思った。


母親に、


「弟は!弟は!生きてるがーか?(「がーか」の意味=「なのか?」という問いかけ)」


蜂にめった刺しにされて息絶えている弟の姿がリアルにイメージされていました。


母親は言いました。


弟は、刺されてないよ。


なぜか蜂は私に総攻撃したようです。


理由は未だに不明です。


⬛️次男無敵説(後編)


雪国につきものの除雪。


結構な重労働です。


また、屋根から落ちて亡くなる方が毎年出る危険な作業です。


当時の我が家は、築150年の瓦屋根の平屋建て。


めちゃめちゃ古くて隙間風ぴゅーぴゅーでしたが、異常なほど広かった。


天井は4メートルほどあり、おそらく20〜30畳ほどある部屋が3つ並んでいた(ってかそれしか部屋がなかった)ため、土曜日の午後には友達と我が家内で野球やバスケ(ミニですけど)をやって遊ぶほどでした。


そんな家なので冬は雪が降り積もります。


私はなんとも思わなかったのですが、父親は夜になると屋根に積もった雪の重みで柱がギシギシ言うので「家が潰れて死んでしまうのでは」とめちゃめちゃ普段だったそうです。


翌日日曜日。


私は父に連れられ屋根に上り雪かきをすることになりました。


当時まだ小学生です。


屋根に上り、スコップで雪を屋根の下に落としてゆきます。


今で思うと、まずはおおざっぱに屋根の上につ持っている軽い雪をバサバサと落としてから屋根の下の圧雪部分を落とすという手順で雪下ろしするのが効果的であることを理解しています。


しかし当時、小学生ながらドA型の私は屋根の隅の雪を上から下まできっちり落としてから次のエリアに進むというめちゃめちゃ完璧主義で遅いやり方で雪を下ろしていました。


それを見た父親は大激怒。


バカヤロー、そんなちまちましたやり方するんじゃない!


日曜日、親の手伝いをしつつ、屋根の上で怒鳴られる私。


ふと屋根の小窓から家の中が見えました。


次男がコタツの中で絵本んを読んでいました・・・。


手伝いをして怒鳴られる私。


コタツの中で絵本を読んでいる次男。


理不尽を受け入れる心は、この時点で出来上がりました。


本日は以上となります。


ありがとうございます。

by ma-ki-ba | 2019-08-02 22:38 | まきばのできごと
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